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自民党と民主党の共同提案による「日本国憲法改正国民投票法案」では、永住外国人の方々の国民投票に関する「運動規制」(=表現の自由の規制)は定められていない。 以前の自民党案には外国人の方々の運動規制が規定されていたが、今回の提案ではこの点についてみれば、より人権に配慮した提案になっており、一歩前進と受け止めてよいとも思われる。ただし、もともと外国人の人権保障は、マクリーン事件でも判示されているとおり、「性質上可能な限り」で保障されているにすぎない点に注意を要する(性質説)。なお、マクリーン事件については下記記事参照のこと。 http://sawasawa-kum.at.webry.info/200703/article_6.html 確かに、従来の通説のとおり、国民主権原理が鋭意に顕れている部分(国政選挙や憲法改正国民投票の投票権それ自体)については、外国人に保障が及ぶものではないとの結論にも合理性があるかもしれない。そして、これについて性質説による制約理論を説明すれば、その制約の正当性を説明し易いのかもしれない。 しかし、性質説には、「性質上」というロジックの曖昧さがある。制約を受ける側にとっては、この曖昧さが怖い。 僕が、ある永住外国人の方に、今話題の「日本国憲法改正国民投票法案」には、外国人の運動規制は規定されないようであるとお伝えした際、その方は「よかった。私も憲法改正について堂々と意見を表明してよいのですね。」と喜んでいた。 僕は、その際、性質説の説明を詳しくしていない。もちろん、説明すべきであったと思うが、その場ではできなかったのである。 マクリーン事件等を見る限り、判例によれば、外国人がする「日本国の国益を損なうような表現行為(たとえば米国に対する反戦運動など・・・。)」(?)は、法務大臣の広範な裁量のもとで規制されるおそれがある。 そうすると、法務大臣の広範な裁量の名の下で、外国人がする憲法改正国民投票運動をもって、「日本国の国益を損なうような表現行為」などと評価されることが、ないとは限らない。 そしてまた、その広範な裁量が、性質説の名において、合憲とされることが懸念されるのである。 ところで、仮に「性質説」の名の下に、憲法改正国民投票運動等の表現行為が規制されるのであれば、それは時・場所・方法に関する規制=「内容中立的規制」ではなく、「内容規制」というべきである。 したがって、このような規制をする場合には、「現に差し迫った危険が明白に存在する」場合に限って、規制されるべきである。 そうであるならば、この表現行為の規制をもって、日本人と外国人とを区別する理由はない。日本人も外国人も、同様の制約を受けてしかるべきであろう。 もっとも、憲法改正国民投票運動が真っ当に保障される限り、明白かつ現在の危険法理が適用される場面はほとんどないと思われるし、そもそも僕自身は、このような問題を検討する際には、「国籍」というファクターがどれほど正当性を持っているか極めて疑わしいと考えている。 国籍を錦の御旗にする論理は、外国人は日本がヤバくなれば本国に戻ることができるという。しかし、そうであるならば日本人も憲法22条2項によって「国籍離脱の自由」が保障されているのである。 問題は、「定住」のファクターである。このファクターこそが、その人をその地に縛る現実の要素であり、また、だからこそその地の規範を受けながら生きてゆかなければならないのである。 すなわち、「国籍」と「定住」が一致しない時に、どちらのファクターを重視するかが問題なのであり、そこでは決定的に「定住」のファクターこそが重要なのである。 いずれにせよ、憲法改正国民投票運動に対する性質説による制約が仮になされるとすれば、それは誤った制約と言わざるを得ない。このような誤った制約がまかり通るようなことがあってはならない。 このような事態を未然に防止するため、是非、「永住外国人の方々も含む様々な立場にある人が憲法改正について議論をして下さい!」といった、政府の公式コメントが欲しいところである。 (澤田章仁) |
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