|
今回のテーマ:見えない憲法第3条/教育目標としての平準化(同著57頁) 【解読レジュメ】 (1)見えない憲法第3条の価値 教育の上では、個性・突出した強者をよしとせず、平均値が最良と考えられてきた点に疑いはない。 右肩上がりの日本経済を支える企業戦士は、ユニット化され、過労死してもパーツとして交換できることが効率を支えてきた。 ↓ 他方、行政の観点からも、規制や福祉の実現の上で、社会の構成員が平準化され、似たり寄ったりのときは、個人の幸福の最大公約数的な幸福の最大化に合致する。 ↓ したがって、見えない憲法第3条には、個人の能力や人格は平準化・規格化されている方が好ましいと記されているはずである。 (2)見えない憲法第3条の価値の実現手段 詰め込み型の受験教育である。考えるのを止め丸暗記に走る。その知識を吐き出せば評価される。その結果、天才や異能を排除してきた。・・・授業も三流 ↓ (伝聞だが)イギリスの高校では何ヶ月もかけて、第1次世界大戦がなぜ起きたかを報告と討議を繰り返すことがあった。・・・一流の公民の授業だ! ↓ しかし、日本社会ではこのような一流の公民の授業は、むしろ有害であったことは論を待たない。 【澤田コメント】 棟居教授の論文なのかエッセイなのかは不明だが、「ポストモダンの憲法学」(憲法学再論3頁)という論考には、次のような記述がある。 ************************ 二 お前はなにをしてきたか いいかげんな分類で恐縮だが、戦後日本の憲法学者は、次の三種類の学者がいるといってよいように思う(もちろん混合型が通例であろう。なお、どうでもよいことだが、筆者(棟居快行教授自身)は遺憾なことだがAとしてはスマートさに欠け、Bほどの勉強家ではなく、Cのような情熱は持ち合わせていない)。 A 西欧近代の理念を日本に接木しようとするスマートな開明派リベラリスト B 日本の憲法裁判を意識しながら主にアメリカの司法審査の法技術を導入しようとする学究肌の純法律家タイプ C 体を張って運動論もしくは運動論的解釈論を展開してきた土着型の護憲派 ************************ 棟居教授の他の著書・論考・判例解説等を読めばわかるが、不勉強の私でも、棟居教授の特異の言い回しが頭に響き、そして残る。 曽我部助教授も「自由かつ博識」と評価し、その「自由な発想」に一目置いておられる。 私のような「法律実務家」も、もしかしたら自由業と言われる類に属しているせいで、自分には自由な発想があると思い込んでいる者も多いのではないかと思う。 しかし、本当に自由な発想が持てるのであろうか? 現在の登記実務はもちろんのこと、裁判実務とて、そのようなことが通用する社会ではない。 個性や異能がかき消されているのは、教育や企業社会の場面だけではない。 その結果「事件は類型化」され「法律実務家も規格化」され、決して真の実態に迫ろうとはしない実務姿勢が横行しているように思える。 そして、そのような司法制度を最良と考え、司法制度改革審議会の最終意見書においても「個人の手続的自律」は、蚊帳の外におかれ、パターナリスティックな「法曹三者」の役割に最大の期待が寄せられているようである。 右肩上がりの「司法アクセス」を目差し、最大公約数的なわずかな「紛争処理類型」が最良の制度として構築されつつある。 見えない憲法第3条は、マスプロ教育のなせる業を日本社会のあらゆる場面において推進中である。 澤田章仁 |
| << 前記事(2007/04/03) | トップへ | 後記事(2007/05/01)>> |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2007/04/03) | トップへ | 後記事(2007/05/01)>> |